沿 革


 浄土真宗本願寺派高岡教区新湊組 西谷山 西照寺

 承応4年(1655)加賀藩の御蔵と呼ばれる米蔵が、吉久村の西側に建てられました。そこに、藩命により近村から多くの人々が集まってきて吉久新村ができています。さらに寛文元年(1661)には、吉久詰米奉行が赴任するなど、村も大きく発展していきました。ところが、寺院がないので、大田村西田より西照寺を招聘することになり、中塚家が使者となったという口伝があります。
 西照寺は、室町時代の末期大永5年(1525)7月釋了誓が富山県氷見郡大田村大字西田村94番地(現高岡市西田)に一宇を建立して、浄土真宗本願寺に帰属し、西照寺を公称したのがはじまりであると伝えられています。その後、寛永年間に大谷派へ転属したようで、89年後の正徳4年(1714)5月3日、釋祐慶の時に本願寺派へ帰参しています。「貞享2年(1685)由緒書上」には、〔創立年代〕大永5年、〔創立者〕釋了誓、〔寺号〕西照寺、〔東・西別〕東、〔村名〕西田村と記されています。
 享保13年(1728)8月23日、釋祐教の時に射水郡能町村大字吉久村783番地(今の宮中新公園の北側あたり)に移転しています。
 明治29年(1896)年8月2日、大洪水で諸堂宇が破損流失しました。〔神通川、庄川をはじめ県下各河川が暴風雨のため大洪水を起こし、浸水家屋が一万余にのぼり、「実に高岡にありて未曾有の災禍なりし」(富山県気象災異誌)と記されるほどの甚大な被害であったようです。〕
 そのため、現在の御蔵跡地(射水郡能町村大字吉久村地内字蔵下702の2)に移転し、今日に至っています。

  
許状  歴代住職  記録

 
 本 佛 許 可
      正徳4年(1714)6月3日 (本尊阿弥陀如来立像 御丈一尺八寸)
 親鸞聖人御影(三番形)  正徳4年(1714)5月12日
 七 高 僧 御 影     正徳4年(1714)5月12日
 聖徳太子御影        正徳4年(1714)5月12日
 蓮如上人御影        明治8年(1875)11月8日
 良如上人御影(四番形)  正徳4年(1714)5月1日
 広如上人御影(三番形)  明治8年(1875)11月17日




  端 書 無 之
 就今度其方帰参 木佛 以下虫喰 言上候処被成 御免候間難有可為到安置候 御礼之儀者追而  御染筆、可被成候条可為得其意候猶其節此一紙可差出候不宣                 下間刑部卿法橋
                              頼源花押
              正徳四年甲牛六月三日
                   越中国射水郡西田村   西照寺 祐慶




  端 書 無 之
 就今度其方帰参 御開山様御影太子七高僧御影御裏申替願之通遂言上候処此節 御用多故御裏 御判形ニ而先被成 御免候間難有被存候御裏之儀者追而 御染筆 可被成下候不宣 
                              下間刑部卿法橋
                                頼源花押
               正徳四年甲牛五月十二日
                    越中国射水郡西田村   西照寺 祐慶






  歴代住職

西田村西照寺 歴代住職 住職就任 入寂
第一世 釋了誓 許状不詳 天文十二年(1543)十月十八日 
第二世 釋了音 不詳
第三世 釋教浄
第四世 吉久村西照寺 釋浄諦
第五世 第一世 釋浄信
※1 第二世 釋祐慶 正徳四年(1714)五月十一日  天文四年(1739)三月九日
第三世 釋祐教 許状不詳 宝暦二年(1752)七月十一日 
第四世 釋圓浄 明和五年(1768)一月二十五日 
第五世 釋専能 安永三年(1774)九月十二日
第六世 釋知倫 不詳
第七世 釋専教 文化十二年(1815)十二月十一日 
第八世 釋僧響 天保九年(1838)二月二十四日  安政二年(1855)七月十五日 
第九世 釋授眼 嘉永五年(1852)三月一日  明治三年(1870)三月十五日 
第十世 受楽院釋北周 明治八年(1875)十一月二十一日  明治二十七年(1894)八月十八日
第十一世 信楽院釋周教 明治三十三年(1900)五月九日 昭和年六年(1931)一月二十八日
第十二世 清楽院釋周迪 許状不詳 ※2 昭和二十二年(1947)十一月十二日
第十三世 大慈院釋義教 昭和二十三年(1948)年九月三日 平成十一年(1999)九月二日
第十四世 釋教潤 平成十一年(1999)十月七日
第十五世 釋基正 令和四年十一月六日
※1 第五世釋浄信の時に吉久に移転している。兄弟のうち、弟が親鸞様の御影を奉じて吉久へ移転し、兄は後に氷見市朝日山のふもとに、御本尊木仏を奉じて移転したとの口伝がある。現在も氷見市に西照寺は在る。
※2 昭和9年1月1日現在の門徒芳名帳に 当寺第12世住職 吉井周迪と記載されている。

   記 録

  • 本堂移転再建  明治30年~31年頃と推測される。世話人 加登佐左衛門の尽力により再興されたと伝えられている。(明治29年8月18日付の再建事務所の「萬記載簿」が残されている。また、明治32年8月16日付の本堂、客殿、鐘楼が西照寺所有の物件であるという証明書の写しが残されている。)
  • 明治41年宮殿須弥壇新調
  • 大正3年 親鸞聖人650回大遠忌法要勤修
  • 昭和7年 梵鐘堂再建 世話人 大谷宗七
  • 昭和9年 本堂屋根改築 世話人 大谷宗七
  • 昭和22年 梵鐘新鋳造 世話人 大谷宗七
  • 昭和28年 庫裏改築 世話人 島崎他吉 桑本為次
  • 昭和29年4月2日 蓮如上人450回大遠忌法要勤修
  • 昭和40年 本堂修復
  • 昭和42年 親鸞聖人700回大遠忌法要勤修 
      世話人 桑本為次、能松松太郎、高野懋作、牧野金太郎、向田 武
  • 昭和59年 本堂屋根修復
  • 昭和61年 客殿新築 委員長 吉田秀義
  • 昭和62年5月17日 庫裏改築落慶法要
  • 平成15年4月 本堂改築
  • 平成16年4月18日 本堂改築落慶法要 委員長 桑本久栄

 昭和22年鐘楼堂の法要 


     昭和29年4月2日 蓮如上人450回大遠忌法要


           平成15年 本堂修復工事風景